名ステイヤー、メジロマックイーン死去!

また名馬が一頭逝きました。

4月3日、 91、92年の天皇賞・春を制したメジロマックイーン(牡19)が、繋養先の社台スタリオンステーション荻伏で心不全の為、死亡したことが明らかになりました。

メジロマックイーンは、父メジロティターン、母メジロオーロラ(その父リマンド Remand)という血統で、半兄に86年菊花賞を制したメジロデュレン(牡22・父フィディオン Fidion)がいます。

90年2月に池江泰郎厩舎からデビュー。同期が春のクラシックを行っている頃に、徐々に力を付けて行き、秋に初重賞、GⅠ挑戦となった菊花賞で優勝します。

91年からは武豊騎手を主戦とし、阪神大賞典、続く天皇賞・春を制覇、メジロアサマメジロティターンに続く親子三代芦毛天皇賞・春制覇を成し遂げます。

秋は天皇賞・秋で1着に入着しますが進路妨害(DVDで観ましたが、何処が進路妨害?><)で18着という無念を味わいました。

92年には阪神大賞典天皇賞・春を連覇します。しかし宝塚記念を前にして骨折、一年の休養を余儀なくされます。

復帰戦となった93年の産経大阪杯でいきなり優勝、天皇賞・春こそライスシャワーに敗れますが、宝塚記念で優勝します。しかし秋の京都大賞典優勝後の調教で繋靱帯炎を発症し、引退しました。(通算成績21戦12勝)

翌年から種牡馬入りしますが、98年クイーンCを制したエイダイクイン、01年フラワーCのタイムフェアレディだけと振るいませんでした。

JRA史上初(当時)の10億円ホースとなり、また94年にはJRA顕彰馬に選出されています。

また同期には92年の宝塚記念を制したメジロパーマー、91年の宝塚記念を制したメジロライアンがおり、メジロ全盛期を気付き上げました。

残念ながら自身を彷彿する様な産駒には恵まれませんでしたが、「マックイーンから学んだ」という池江泰郎調教師が送り出す後輩のディープインパクト天皇賞・春を制してくれるでしょう。

お疲れさまでした。安らかにお眠り下さい。